◇世界史の中の日本◇

日本という国は異文化との接触のなかで成長してきた国だと思います。
古くは韓半島や大陸で政変が起こるたび、迫害された人たちが日本へと亡命してきましたし、気候異変が起こるたび、遊牧騎馬民族が日本へと流れ込んできました。また鉄の文化が起こるや、製鉄の燃料となる森林資源を求めて韓半島からの移住が活発となりました。
近世に至っては、大航海時代にヨーロッパの文化と接触しますし、産業革命の折りは、その原動力となる鯨油を求め太平洋にアメリカが進出、日本の鎖国を脅かすことになります。鎖国と言えば、徳川幕府が鎖国を続けることが出来たのもオランダ海上帝国が、東アジア、東南アジアににらみをきかせていたからこそ可能になった次第です。
こんな話があります。
天明三年(1783年)七月、浅間山が大噴火を起こしました。同時期に北欧でもラキ山が大噴火を起こし、二つの大噴火が相俟って、世界の気象に甚大な影響を及ぼしました。日本と北欧、この二つの地域でほぼ同時に起こった大噴火により、北半球を微粒な火山灰が覆い、地球規模で農産物の不作という現象がおこりました。日本では天明の大飢饉となり、フランスでは穀物の値上げが引き金となってフランス革命へと結びついていきます。
話をもっと短絡的にしますと、浅間山の噴火とラキ山の噴火がフランス革命のひきがねとなり、それがまたナポレオン戦争を生み出し、結果、オランダという国が地図の上から消えることとなりました。ナポレオン戦争に敗れ、オランダ国王ウイルレム5世がイギリスへ亡命したのです。当時、オランダは、オランダ海上帝国と呼ばれるように、東南アジアから東アジアを支配していました。その植民地が宙に浮いてしまい、イギリスとフランスが、ヨーロッパばかりか、東南アジア、東アジアでも覇を競うことになっていくのです。
江戸幕府が鎖国体制を維持できたのも、世界的視野に立ってみれば、オランダという傘の下にいたからこそできたことです。そのオランダの勢力が衰えると、日本近海がやたらと騒々しくなってきます。
このように、日本は、古くから異文化との接触、需要の中で成長し、変貌を遂げてきたのです。このコーナーでは、海外との交流を中心とした本を展示しております。特に近世が多くなっておりますが、もし関係図書をお持ちの方がおられましたら、宜しければご寄贈をお願いする次第です。

アメリカ独立記念日に、ハドソン川を遡航するハーフムーン号と、アメリカ海軍艦艇